大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)8040号 判決 1991年12月25日

昭和63年(ワ)第8040号(第一事件)

平成2年(ワ)6068号(第二事件)

第一事件・第二事件原告 大日本製薬株式会社

第一事件被告 ベーリンガー・マンハイム東宝株式会社 外三名

第二事件被告 株式会社陽進堂

主文

一  被告大原薬品は、別紙目録(一)記載の物件及びその製剤品を製造し、販売し、販売のために宣伝広告してはならない。

二  被告ベーリンガー・マンハイム東宝、被告東和薬品、被告全星薬品及び被告陽進堂は、別紙目録(一)記載の物件の製剤品を製造し、販売し、販売のために宣伝広告してはならない。

三  被告らは、その所有する別紙目録(一)記載の物件及びその製剤品を廃棄せよ。

四  訴訟費用は被告らの負担とする。

五  この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

一  主位的請求

主文第一ないし第三項同旨。

二  予備的請求

1  被告大原薬品は、別紙目録(二)記載の方法を用いて同目録記載の目的物を製造し、販売してはならない。

2  被告らは、別紙目録(二)記載の目的物を製剤し、該製剤品を販売し、販売のために宣伝広告してはならない。

3  被告らは、その所有する別紙目録(二)記載の目的物及びその製剤品を廃棄せよ。

第二事案の概要

一  原告の権利(争いがない)

原告は、左記の特許権(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件発明」という。)を有する。

1  発明の名称 2―(1―ピペラジニル)―8―エチル5・8―ジヒドロ―5―オキソピリド〔2・3―d〕ピリミジン―6カルボン酸3水和物の製造法

2  出願日 昭和四九年二月一三日(特願昭四九―一六七六二)

3  出願公告日 昭和五六年三月二三日(特公昭五六―一二六三六)

4  登録日 昭和五七年一〇月二八日

5  特許番号 第一一一八六四三号

6  特許請求の範囲(以下「本件特許請求の範囲」という。)

「2―(1―ピペラジニル)―8―エチル―5・8―ジヒドロ―5―オキソピリド〔2・3―d〕ピリミジン―6―カルボン酸を水又は含水媒体から3水和物として生成せしめ、その結晶水が脱離しない条件下で乾燥して付着水を除去することを特徴とする2―(1―ピペラジニル)―8―エチル―5・8―ジヒドロ―5―オキソピリド〔2・3―d〕ピリミジン―6―カルボン酸3水和物製法。」(別添特許公報―以下「公報」という―参照)

二  本件発明の目的物の新規性(争いがない)

本件特許請求の範囲に記載されている「2―(1―ピペラジニル)―8―エチル―5・8―ジヒドロ―5―オキソピリド〔2・3―d〕ピリミジン―6―カルボン酸」は、一般名を「ピペミド酸」と称する化合物であって、本件発明の目的物であるピペミド酸3水和物は、本件発明の特許出願当時、日本国内において公然知られた物ではなかった。

三  被告らの行為(争いがない)

1  被告大原薬品は、業として別紙目録(二)記載の方法(以下「イ号方法」という。)を用いて、同目録(一)記載の物件(ピペミド酸3水和物)の原末を製造し、これを製剤して、右製剤を「フォロエース錠」との商品名で抗菌性化学療法剤として販売し、販売のために宣伝広告している。

2  その余の被告らは、いずれも業として、被告大原薬品から右原末を購入し、各々これを製剤して、右各製剤を被告ベーリンガー・マンハイム東宝が「ウロガロ錠」、被告東和薬品が「ピペロテート錠二五〇」、被告全星薬品が「ドンテノール錠」、被告陽進堂が「ペピミドール錠」との商品名で抗菌性化学療法剤として販売し、販売のために宣伝広告している。

3  右原末は、本件発明の目的物と同一の物である。

四  本件発明の構成要件とイ号方法の構成

1  本件発明の構成要件は、次のとおり分説するのが相当である。

(一) 2―(1―ピペラジニル)―8―エチル―5・8―ジヒドロ―5―オキソピリド〔2・3―d〕ピリミジン―6―カルボン酸(以下「ピペミド酸」と表記する。)を水又は含水媒体から3水和物として生成せしめ、

(二) その結晶水が脱離しない条件下で乾燥して付着水を除去することを特徴とする、

(三) ピペミド酸3水和物の製法。

2  イ号方法の構成は、次のとおり分説するのが相当である。

(一) ピペミド酸無水物を、加熱溶融したピペラジン6水和物に添加溶解せしめた後、

(二) これに無水エタノールを加え、

(三) 冷却して析出する結晶を瀘取し、

(四) 付着エタノールを揮散させる、

(五) ピペミド酸3水和物の製法。

3  なお、イ号方法の具体的態様は、「固体ピペラジン6水和物を五〇℃に加熱して溶解し、この溶解したピペラジンに粉末状ピペミド酸無水物を添加し、七五~八〇℃の加熱下で攪拌して、ピペミド酸無水物を完全に溶解させ、更に同様の温度下で一・五時間攪拌を続けた後これに無水エタノールを加え、これを攪拌下で約一〇℃に冷却し更に一時間攪拌を続けて析出した結晶を瀘別し、九五%エタノールで三回洗浄した後一夜風乾させてピペラジン3水和物を得る方法。」である(丙五〔被告大原薬品の製造実験報告書〕、弁論の全趣旨)。

4  イ号方法の構成(一)のピペミド酸無水物が、本件発明の構成要件(一)のピペミド酸に含まれることは争いがなく、イ号方法の構成(五)が、これに対応する本件発明の構成要件(三)を充足することは明らかである。

五  原告の請求の概要

1  (主位的請求)被告大原薬品が製造し、同被告及びその余の被告らが製剤に用いているピペミド酸3水和物は、特許法一〇四条の推定規定により本件発明により製造された物と推定されることを理由に、被告大原薬品に対しピペミド酸3水和物の製造・販売等の差止、全被告にその製剤品の製造・販売の差止等を請求。

2  (予備的請求)仮に右推定規定が適用されないとしても、イ号方法は本件発明の構成要件を充足し、その技術的範囲に属することを理由に、被告大原薬品に対しイ号方法によるピペミド酸3水和物の製造・販売の差止、全被告にその製剤品の製造・販売の差止等を請求。

六  争点

イ号方法が本件発明の技術的範囲に属しないといえるか否か。すなわち、

1  イ号方法の構成(一)の「加熱溶融したピペラジン6水和物」が本件発明の構成要件(一)の「含水媒体」に該当するか。

2  イ号方法が構成要件(二)を充足するか。

七  争点に関する当事者の主張

1  被告らの主張(抗弁)

(一) イ号方法は、原料としてピペミド酸無水物とピペラジン6水和物を使用し、この両者を反応させてピペミド酸3水和物を取得する方法であって、水又は含水媒体を使わずにピペミド酸3水和物を生成せしめるものであり、付着水など皆無の無水エタノール中でピペミド酸3水和物を析出させ、これを瀘取し、付着することのある無水エタノールを揮散させることによりピペミド酸3水和物を得ている。

(二) これに対し、本件発明は、ピペミド散と水又は含水媒体を反応原料としてピペミド酸3水和物を生成せしめ、その結晶水が脱離しない条件下で乾燥して付着水を除去することを特徴とする方法であり、「水又は含水媒体から3水和物として生成せしめること」(構成要件(一))及び「結晶水が脱離しない条件下で乾燥して付着水を除去すること」(同(二))を必須の要件とするもであり、水の存在を当然の前提としている。そして、本件特許出願の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)には、ピペミド酸3水和物を生成せさる具体的態様として、(1)  アルカリ水溶液又は酸性水溶液に粗製のピペミド酸を溶解した後中和し結晶させる方法、(2)  含水有機溶媒(例えば含水ジメチルホルムアミド)に粗製のピペミド酸を溶解し、再結晶させる方法が開示されている(公報10欄8行~11欄15行・12行1~4行)。

このように、本件発明では、ピペミド酸とピペラジン6水和物を反応させてピペミド酸3水和物結晶を得る方法は全く対象になっていない。本件明細書をみても、ピペラジン6水和物が「含水媒体」であるという記載も認識もないばかりでなく、本件明細書には、ピペラジン6水和物は、これを原料として用いる場合は、無水反応系であることが明記されている(公報5欄2~3行)。

(三) ピペラジン6水和物は、融点四四℃、沸点一二五~一三〇℃の単一化合物であって、イ号方法における五〇~八〇℃の温度程度では熱分解など考えられず安定した状態で存在し得るのであり、溶融状態においても、ピペラジン(融点一〇六℃、沸点一四五~一四六℃)と水との混合物となるものではない。従って、イ号方法では、反応系中に水は全く存在せず、ピペラジン6水和物の結晶水がピペミド酸無水物に移転してピペラジン3水和物を形成するにすぎず、水又は含水媒体から3水和物として生成せしめることはないから、本件発明の構成要件(一)を充足しない。

2  原告の主張

(一) ピペミド酸3水和物には、3分子の結晶水が付加されているから、イ号方法のようにピペミド酸無水物を出発原料としてピペミド酸3水和物を得るためには、反応系中に必ず水が存在しなければならない。イ号方法では、加熱溶融したピペラジン6水和物中にピペミド酸無水物が添加溶解せしめられるが、6分子の結晶水を有するピペラジンであるピペラジン6水和物が加熱溶融されると結晶は融け、結晶水はただの水となり、両者は融け合って「含水媒体」となる。イ号方法では、これに更に無水エタノールが加えられ、ピペミド酸3水和物の結晶が取り出されるが、最終的に乾燥せしめられる以前のピペミド酸3水和物が結晶水の他に付着水を有しており、その付着水が乾燥によって除去される。

(二) イ号方法においては、ピペラジン6水和物は、イ号方法の原料たるピペミド酸無水物を合成するための原料として使われているのではない。被告らが指摘する本件明細書の記載(公報4欄5行~5欄4行)は、本件発明の原料化合物たるピペミド酸(粗製のピペミド酸無水物・粗製のピペミド酸3水和物)の合成法の一つを記載したものであって、本件発明の説明ではないから、被告ら指摘の右記載をもって、イ号方法が本件発明の技術的範囲に属しないとする根拠とすることはできない。

本件発明に関する説明は、被告ら指摘の具体的態様(1) 、(2) に関する記載(公報10欄8行~11欄15行・12欄1~4行)中でされており、有機溶媒再結晶法(同10欄12~14行)については、「有機溶媒再結晶法により直接PPA3水和物を得るためには、含水有機溶媒を用いるのがよい。」と記載されている(同欄17~19行)。イ号方法は、含水有機溶媒としてピペラジン6水和物の加熱溶融液を用いるものである。

(三) 加熱溶融したピペラジン6水和物は、ピペラジンと水との混合物となるから、イ号方法は含水有機媒体としてピペラジン6水和物の加熱溶融液を用いており、本件発明の構成要件(一)を充足する。

第三争点に対する判断

一  争点1(「加熱溶融したピペラジン6水和物」が「含水媒体」に該当するか)について

1  本件発明の構成要件(一)の「含水媒体」

本件特許請求の範囲及び本件明細書の発明の詳細な説明を総合すると、本件発明は、本件特許請求の範囲に記載のとおり、原料化合物(出発物質)たるピペミド酸からピペミド酸3水和物を得る方法であると認められ、その具体的実施態様として、本件明細書中に、<1> アルカリ水溶液精製法、<2> 酸性水溶液精製法、<3> 有機溶媒再結晶法が示されている(甲三八の2)。

本件特許請求の範囲及び本件明細書の発明の詳細な説明中には、本件特許請求の範囲にいう「含水媒体」についての定義はないが、発明の詳細な説明中の右<1>、<2>及び<3>の精製法に関する記載(公報10欄8行~11欄15行・12欄1~4行、21欄32行~22欄18行、25欄9行~26欄24行)によれば、本件発明の構成要件(一)の「含水媒体」が、<1>の「アルカリ水溶液」、<2>の「酸性水溶液」及び<3>の「含水有機溶媒」を含むものであることは明らかである。また、右記載中には、「含水媒体」の具体例として、<1>の「アルカリ水溶液」につき水酸化ナトリウム水溶液等、<2>の「酸性水溶液」につき希酢酸水溶液、希メタンスルホン酸水溶液等、<3>の「含水有機溶媒」につき含水ジメチルホルムアミドが示されている。そして、本件特許請求の範囲及び本件明細書の全記載を総合して考えると、本件特許請求の範囲にいう「含水媒体」とは、ピペミド酸がピペミド酸3水和物になるために必要な水を供給できる、その水を含む媒介物をいうものと解するのが相当である。被告ら主張の「含水媒体とは含水有機溶媒のことであり、有機溶媒に水が添加されたもの」との限定的解釈は採用できない。

被告ら指摘の「無水反応系であってもピペラジン6水和物を原料として用いれば、PPAは3水和物の形で生成する。」との記載(公報5欄2~4行)は、本件発明の原料化合物たるピペミド酸(粗製のピペミド酸無水物・粗製のピペミド酸3水和物)の合成法の一つの説明(同4欄5行~5欄4行)であって、本件発明に関する説明ではないことは明らかである。しかも、ピペラジン6水和物が含水有機化合物であることは否定できず、右指摘の記載をもって、ピペラジン6水和物が本件特許請求の範囲にいう「含水媒体」に該当しないことの根拠とすることはできない。この点に関する被告らの主張は採用できない。

2  被告らの主張(抗弁)について

被告らは、イ号方法における加熱溶融したピペラジン6水和物は、ピペラジンと水との混合物となることはなく、常温時と同一組成の単一化合物である旨主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。なお、この点に関する被告らの主な主張・証拠についての当裁判所の見解は以下のとおりである。

(一) 被告らは、化合物辞典として世界的に著名な刊行物であるメルク・インデックス(丙六の1、2)及びバイルシュタイン(丙七)には、ピペラジン6水和物は融点四四℃、沸点一二五~一三〇℃の単一化合物であると明記されていると主張する。しかしながら、右各辞典のいずれにも、ピペラジン6水和物は現実に常温では結晶として存在し、その温度を四四℃に上昇させると固体から液体に、更に一二五~一三〇℃に上昇させると液体から気体にそれぞれ状態が変化することが示されているものの、ピペラジン6水和物を加熱溶融した場合においても、常温と同一組成の単一化合物の状態を保持している旨の情報はない(丙六の1、2、七)。すなわち、ピペラジン6水和物の融点及び沸点は、固体状態から液体状態へ、続いて液体状態から蒸気を発生させて気体状態になる温度を示すものであるという点において、その物質固有の値であるというにすぎず、そのことから直ちに加熱溶融したピペラジン6水和物が常温時と同一組成の単一化合物であるとまではいえない。

(二) 丙一〇(被告大原薬品の実験報告書(1) )は、ピペラジン6水和物に水を加えた、ピペラジン6水和物と水の混合物を常圧蒸留(油浴温度一五〇℃)したとき、ピペラジン6水和物の蒸留では留出しない水の沸点一〇〇℃で、添加した水相当分が留出するか否かを調べたところ、九九~一〇〇・八℃で採取した留分はほとんど純水(添加した水相当分)であったから、溶融したピペラジン6水和物が単一化合物であることは明らかであるとしている。しかしながら、丙一一(被告大原薬品の実験報告書(2) )について後記指摘の実験結果もあるし、また、甲四六(原告の実験報告書(III )によれば、ほぼ同様の留出温度でも、加熱の仕方等により水の留出量に差があり、かつ常に少量ながらピペラジンの留出があった事実が認められる。結局、丙一〇の実験結果からでは、イ号方法の反応温度(七五~八〇℃)における溶融ピペラジン6水和物の状態を被告ら主張のとおりと推認することは困難である。

丙一一(被告大原薬品の実験報告書(2) )は、ピペラジン6水和物をピペラジン無水物の沸点一四六℃よりもはるかに高い油浴温度二〇〇℃前後で常圧蒸留したところ、留出温度一〇五~一二〇℃では、主として水が大量に留出し、ピペラジン6水和物の沸点に相当する一二〇~一三〇℃ではモル比でピペラジン一に対して六・五の水が留出し、一三〇℃以上では約六〇%のピペラジン6水和物が高温のため熱分解してピペラジンとして残留したこと、この事実から、ピペラジン6水和物は高温において熱分解して水とピペラジン無水物とに分れる(混合物になる)が、逆に水の沸点以下であるイ号方法の反応温度(八〇℃以下)では、右のような熱分解がほとんど生じず、ピペラジン無水物と水とがより安定して結合していると考えられるとしている。しかしながら、丙一〇、一一の推論を適用すれば、右ピペラジン6水和物の沸点よりも低い一〇五~一二〇℃で大量の水が留出した事実から、かえって原告主張の、溶融ピペラジン6水和物は大部分ピペラジンと水との混合物になっていることを推論することも不可能ではなく、結局、この実験結果からでは、イ号方法の七五~八〇℃におけるピペラジン6水和物の状態を被告ら主張のとおりと推認することは困難である。

(三) 被告らは、甲四五(京都大学教授宮嶋孝一郎〔以下「宮嶋教授」という。〕の鑑定意見書(II))、四七(同鑑定意見書(III ))はいずれもNMRスペクトルにおけるプロトン交換現象という基本的理論(丙一七の1~4〔株式会社東京化学同人発行「有機化合物のスペクトルによる同定法―第4版―」〕、丙一八の1~4〔株式会社廣川書店発行「NMRスペクトルの実際」〕)を無視した測定結果に基づくものである、すなわち、(1) 甲四五の実験2の測定条件では、ピペラジン6水和物の6分子の水のプロトンと添加した水のプロトンは交換可能であるから、別異のピークとしてではなく単一のピークを生ずるのは当然である、(2)  甲四五、四七の各実験のような通常の測定条件ではプロトン交換速度が速すぎて交換終了後のNMRスペクトルしか得られない旨主張し、丙一九(被告大原薬品の実験報告書(3) )を援用して、NMRスペクトルを測定する際に溶媒として用いればプロトン交換速度を遅くすることができる重水素化ジメチルスルホキシド(丙一七の3。以下「d―DMSO」という。)中にピペラジン6水和物を溶解させ、これに蒸留水を添加してそのまま攪拌混合させずにNMRスペクトルを測定したところ、ピペラジン6水和物の結晶水として持っている6分子の水のプロトンと添加した水(蒸留水)のプロトンとは異なった環境になければプロトン交換を起こさず、しかもNMRスペクトルが経時変化することもなく、一つのチャートしか得られないはずであるが、室温での測定結果、図D(実験4)→図E(実験5)→図C(後記実験3のNMRスペクトル図と同じ)及び七五℃の測定結果、図F(実験6)→図G(実験7)のNMRスペクトル図の経時変化を見比べると、両者とも異なるピークもしくは幅広いピークから鋭い単一ピークへと変化している、すなわち、ピペラジン6水和物の結晶水として持っている6分子の水のプロトンと添加した水のプロトンとは、丙一八の3の図2―9「二つの異なった環境にあるプロトンの交換速度増大の影響」に説明されているプロトン交換を起こしているから、両者は異なった環境にあり、七五℃(加熱溶融された状態)においてもピペラジン6水和物は結合したままの単一化合物であることが立証されたと主張する。

しかしながら、甲五〇(原告の報告書)及び五一(同報告書(II))によれば、丙一九の実験4、5に用いられた測定資料は、上層には蒸留水、下層にはd―DMSOの二層を形成していて、蒸溜水とピペラジン6水和物を溶解させたd―DMSO溶液とは均一に混合していなかった可能性が認められ、ピペラジン6水和物を溶解させたd―DMSOと添加した蒸留水とが二層を形成していれば、d―DMSO中に存在するピペラジン6水和物からの水と蒸留水の水とが分離して存在していることになるから、右実験の結果(図D、図E)が二つのピークを示すことは当然であり、それを根拠にする丙一九記載の結論には疑問がある。丙一九の実験においても、ピペラジン6水和物をd―DMSOに攪拌溶解させた液に蒸留水を添加し二~三秒測定管を振って充分に攪拌混合させた場合(実験3〔図C〕)には、NMRスペクトル測定において鋭い単一のピークを示していることも、右疑問を支持するものである。

この点につき、被告らは、丙二〇(被告大原薬品の実験報告書(4) )を援用して、ピペラジン6水和物を溶解させたd―DMSO溶液に、紫色の色素(甲五〇の実験で原告が使用した和光純薬工業株式会社製のクリスタルバイオレット)を溶液かした蒸留水を添加し、測定管を振ることなくNMR測定装置に装着し通常の測定状態に置くと(実験4)、一〇秒でほとんど色素の色(紫色)が消え、三〇秒で無色透明な溶液になったから、右d―DMSO溶液と蒸留水は完全に混合し均一になっている、すなわち、丙一九の実験は均一な状態にある溶液の測定であると主張するが、右色素の色が消えるのは水層にわずかに拡散したピペラジンによって水層がアルカリ性になったためである(甲五一)と考えられる余地もあることに照らし、丙二〇によっても、丙一九に関する前記疑問を解消することはできない。

(四) 被告らは、丙二一(被告大原薬品の実験報告書(5) )及び二三(大阪市立大学教授中谷延二の鑑定意見書)を援用して、被告大原薬品が行ったNMRスペクトルによる緩和時間の測定結果、(1)  ピペラジン6水和物を七〇℃で加熱溶融したときの水のプロトンの緩和時間(T1=一・五三、T2=一・二。単位は秒、以下同じ。)が、同温度における蒸留水(T1=九・三五、T2=八・二)及びd―DMSO水溶液(T1=四・五八、T2=三・五五六)の水のプロトンの緩和時間よりも小さいこと、(2)  ピペラジン6水和物を七〇℃に加熱溶融したとき水のプロトンの緩和時間(T1=一・五三)が、文献上知られている〇℃における水(固体化〔氷〕直前の水の)プロトンの緩和時間(T1=一・七三)に近い値であることからすると、七〇℃に加熱溶融したピペラジン6水和物の6分子の水はピペラジンと強く結合したままであること、すなわち、七〇℃におけるピペラジン6水和物はピペラジンと水との混合物ではないことが立証された旨主張する。

しかしながら、<1> 右(1) の結果は、d―DMSOよりもピペラジンの方が水との相互作用が大きいことを示すだけであって、右結果から、直ちにピペラジンと水とが結合していると断定することはできないし、<2>右(2) は、ピペラジンと水の二成分系での測定結果と水だけの一成分系の文献上知られたデータとを比較するものであり、水だけの系では他に物質が存在しておらず、〇℃における水のプロトンの緩和時間の値は水と他の物質とが結合した状態を示すものであるはずがないから、右比較にどれほどの意味があるかは疑問である。

右<1>、<2>の点について、被告らは、次のとおり主張する。

NMRスペクトルによる緩和時間測定法は、生体組織(主としてタンパク質)中に存在する水の状態を整理・分類するための判断基準として開発された技法であり、具体的にはタンパク質の周囲に存在する水の状態について別紙「タンパク質の水和モデル」(以下「別紙モデル」という。)記載のとおりのことが知られている(丙二四〔共立出版株式会社発行・上平恒著「生命からみた水」〕、二五〔同人の「生体中の水の構造と役割」と題する論文―「化学総説No.11」所収―〕及び二六〔逢坂昭・上平恒の「生体と水」と題する共同論文―「食の化学No.64」所収―〕)。このような水分子の存在している状態のA、B、C各層の分類基準として、緩和時間の測定が行われ、その測定値と純水のプロトンの各種温度における緩和時間の値との比較によって別紙モデル記載のような水の分類が実際に行われているが、C層の水のプロトンの緩和時間は測定したときの温度と同温度の純水のプロトンの緩和時間と同じ値を示し、A層の水のプロトンの緩和時間は測定温度にかかわらず〇℃の純水のプロトンの緩和時間と同じ値を示すのである。そうすると、七〇℃におけるピペラジン6水和物の6分子の水と〇℃における純水のプロトンの緩和時間が前記(2) のようにほぼ同じ値を示しているのは、七〇℃においてピペラジン6水和物の6分子の水がピペラジンと結合したままの状態であるために、その分子運動(熱運動)が抑制されて、その緩和時間(T1=一・五三、T2=一・二)が七〇℃における蒸溜水(純水)のプロトンの緩和時間(T1=九・三五、T2=八・二)より極端に小さな値を示し(前記(1) )、水がまさに凍って固体になろうとする状態に近く、タンパク質と水との関係におけるA層(タンパク質表面の極性基と直接結合している水分子)と同様の状態にあることを意味する。一方、七〇℃におけるd―DMSO水溶液の水のプロトンの緩和時間(T1=四・五八)は三五℃の純水のプロトンの緩和時間(T1=四・五三)に近いが、このように水に何かが溶解しただけの状態の水のプロトンの緩和時間は、室温以上で測定した場合、その測定温度にかかわらず室温以上の純水のプロトンの緩和時間とどこかで一致し、けっして〇℃における純水のプロトンの緩和時間と同じ値は示さない。また、タンパク質表面、すなわちタンパク質の周囲に存在する水の状態(A、B、C各層)を決定する緩和時間の測定は、まさに二成分系(タンパク質とその周囲に存在する水)そのもの(タンパク質の周囲に存在する水がタンパク質との間に相互作用を及ぼしている状態)を測定しているから、被告らの主張は正当である。

そこで検討するに、なるほど、丙二四~二六は、いずれもタンパク質の水和の研究に関する文献であり、そこにはタンパク質の周囲に存在する水について、水のプロトンのNMRスペクトルを測定すると、A、B、C各層が存在することが記載されているけれども、丙二四には、タンパク質と低分子(有機低分子化合物)とを対比して、「タンパク質と低分子の違いは、まずその大きさである。・・・したがって、周りの性質にあたえる影響も、低分子の場合とは異なるだろう。」(七二頁一二行~七三頁一行)、「・・・タンパク質分子の表面には、―OHや―NH2、―COOH・・・が分布している。これらの親水基は、水分子と水素結合またはクーロン力によって結合している。これらの水分子はまた・・・、水分子どうしも水素結合で結ばれている。このため、タンパク質表面の水分子に、低分子と水との相互作用よりも、もっと強い力が働いていることになる。」(七六頁八~一三行)との記載があり、右記載からみても、高分子化合物であるタンパク質は有機低分子化合物と物理化学的性質が大きく異なることが明らかであるし、また、有機低分子化合物の一種であるピペラジン6水和物はタンパク質と同様の物理化学的挙動を示す化学物質であると認めるに足りる証拠もないから、タンパク質の周囲に存在する水の状態が前示のA、B、C各層として存在するとの知見のみから、ピペラジン6水和物の6分子の水についてもタンパク質の周囲に存在する水と同様の状態で存在するものと推測することはできない。そうすると、七〇℃におけるピペラジン6水和物の6分子の水と〇℃における純水のプロトンの緩和時間が前記(2) のようにほぼ同じ値を示しているからといって、6分子の水がA層と同様の状態にあると認めることはできない。

従って、丙二四~二六によっても、丙二一及び二三記載の結論を採用することはできない。

3  加熱溶融状態のピペラジン6水和物(当裁判所の認定)

(一) 甲四〇の1~3(丸善株式会社発行「化学辞典」)によると、一般に、結晶水は加熱又は強力な乾燥剤等によって水として結晶から外に出て来ると考えられている。

(二) 甲四二(原告の実験報告書(I))によると、ピペラジン6水和物を五〇℃に加熱したとき(実験1)の外観と、ピペラジン無水物と6モル当量の水との混合物を五〇℃に加熱したとき(同2)の外観とが共に無色透明な液体であること、ピペラジン6水和物を常圧で昇温加熱したとき(同3)の挙動と、ピペラジン無水物と6モル当量の水との混合物を常圧で昇温加熱したとき(同4)の挙動とが同一であることが認められる。

甲四三(原告の実験報告書(II))は、丙五(被告大原薬品の製造実験報告書)記載のピペミド酸3水和物の製造方法(すなわちイ号方法)に従って、操作(1) (ペピラジン6水和物一〇gを五〇℃に加熱して溶融させた。)、(2) (この溶融した液体に粉末状ピペミド酸無水物五gを添加し、七五~八〇℃の加熱下で攪拌して、ピペミド酸無水物を完全に溶解させた。)及び(3) (更に七五~八〇℃の加熱下で一・五時間攪拌を続けた。)を行ったところ、操作(2) 及び(3) において生成した還流物質は水を主成分とする液体であったこと(すなわち、溶融したピペラジン6水和物中の水は加熱により蒸発したあと凝縮されて水となり反応系に戻ること)が認められる。

(三) 甲四五(宮嶋教授の鑑定意見書(II))によれば、実験1(ピペラジン6水和物の固体状態〔二二℃〕のNMRスペクトルの測定)、同2(ピペラジン6水和物を七五℃で溶融した状態のNMRスペクトルの測定)、同3(ピペラジン無水物と6モル当量の水との混合物の七五℃におけるNMRスペクトルの測定)及び同4(水のみの七五℃におけるNMRスペクトルの測定)を行ったところ、(1)  実験2(図B)のスペクトルの化学シフト値は同3(図C)のそれと一致する(いずれも、水のプロトン四・三六ppm、ピペラジン炭素上のプロトン二・七八ppm)、(2)  実験2(図B)のスペクトルの化学シフト値と同1(図A)のそれ(水のプロトン四・九三ppm、ピペラジン炭素上のプロトン二・七〇ppm)とは一致しない、(3)  実験2(図B)の水のプロトンのスペクトルのピーク(四・三六ppm。以下「プロトンのスペクトルのピーク」につき、単に「プロトンのピーク」という。)は同1(図A)の水のプロトンのピーク(四・九三ppm)に比べて大きく変化している、(4)  実験2(図B)の水のプロトンのピーク(四・三六ppm)と同4(図D)の水のプロトンのピーク(四・二七ppm)とはほぼ一致する、(5)  実験2(図B)及び同3(図C)の水のプロトンのピークのシャープさや化学シフト値は、同4(図D)の水のプロトンのピークとほぼ同じであるとの分析結果が出たことが認められる。

また、被告らが主張するように、ピペラジン6水和物を加熱溶融した液体が、常温時と同一組成のピペラジン6水和物という単一化合物の液体であるとするならば、ピペラジン6水和物の有している6分子の水(結晶水)は、該液体に新たに加えられた水の水分子とは水分子中のプロトンに対する環境が相違するため、両者は異なる存在状態にあるはずであるから、ピペラジン6水和物を加熱溶融した液体にさらに水を加えた液体のNMRスペクトルを測定したとき、6分子の水のプロトンのピークは添加した水のプロトンのピークと異なる位置に現われるはずである(甲四七〔宮嶋教授の鑑定意見書(III)〕、弁論の全趣旨)。逆に、右測定をしたとき、結晶水に由来する水分子のプロトンのピークが、新たに加えられた水の水分子のピークと同じ位置に現われ、一本のピークを示すとすれば、結晶水を形成していた水分子と新たに加えられた水分子とは同じ状態で存在している、すなわち、加熱溶融したピペラジン6水和物はピペラジンと水との混合物と同じ状態にあると考えられる(甲四八〔京都大学教授別所清の鑑定意見書〕、弁論の全趣旨)。しかるに、甲四七(宮嶋教授の鑑定意見書(III ))によれば、実験1(ピペラジン6水和物に水を加えたもの〔ピペラジン6水和物と水のモル比が、(1)  一対四・六二のもの、(2)  一対九・一九のもの、(3)  一対一三・一八のもの〕の五〇℃におけるNMRスペクトルの測定)、同2(水の五〇℃におけるNMRスペクトルの測定)、同3(ピペラジン6水和物に水を加えたもの〔ピペラジン6水和物と水のモル比が、実験1の(1) 、(2) 、(3) と同じもの〕の七五℃におけるスペクトルの測定)及び同4(水の七五℃におけるNMRスペクトルの測定)を行ったところ、水のプロトンのピークはシャープな一本のピークを示しており、このことは温度を変えても(五〇℃→七五℃)、濃度を変えても(四・六二モル→一三・一八モル)変わらないとの分析結果が出たことが認められる。

(四) 右諸事実(特に、<1> 甲四五の実験2〔図B〕と同3〔図C〕との水のプロトンの化学シフト値が一致していること、<2> 甲四七の図E、図F及び図G〔実験3の(1) 、(2) 、(3) 〕において、ピペラジン6水和物に対する水の割合を変更しても、水のプロトンの化学シフト値は図Eが四・三九八、図Fが四・三九二、図Gが四・三七一であって、ほとんど変動していないこと、<3> 右<1>、<2>の各図には、いずれも水分子のプロトンのピークが一本のピークとして現われていること)を総合すると、七五℃におけるピペラジン6水和物はピペラジンと水との混合物の状態にあると考えられる。

4  まとめ

以上によれば、イ号方法の構成(一)の「加熱溶融したピペラジン6水和物」が本件発明の構成要件(一)の「含水媒体」に属しないことを立証するに足りる証拠はなく、むしろ「加熱溶融したピペラジン6水和物」は、ピペラジンと水との混合物と同じ状態にあると考えられるから、本件発明にいう「含水媒体」に該当するというべきである。

二  争点2(イ号方法が本件発明の構成要件(二)を充足するか)について

1  イ号方法の構成(二)

前示(第二、四、2・3)のイ号方法の具体的態様によれば、イ号方法の構成(二)の「無水エタノール」は結晶化溶媒として使用されているものと認められる。

本件特許請求の範囲によれば、本件発明において、目的化合物であるピペミド酸3水和物を取得するための結晶化溶媒が限定されていないことは明らかであるうえ、本件明細書の発明の詳細な説明は有機溶媒再結晶法にも言及している(公報10欄11~22行)から、本件発明は無水エタノールを結晶化溶媒として使用することを包含しているというべきである。

2  イ号方法の構成(三)

本件明細書においても、実施例7(精製法)(2) 、(3) にピペミド酸3水和物の結晶を得るにあたり「冷却後折出結晶を濾取する」と記載されている(公報26欄8行、20~21行)ように、イ号方法の構成(三)の「冷却して析出する結晶を瀘取」することは、目的とする化学反応生成物を単離取得するための常套手段であることは明らかである。

3  イ号方法の構成(四)

前示のイ号方法の具体的態様によれば、イ号方法の構成(四)の「付着エタノールを揮散させる」は、反応溶液から結晶化させて結晶生成物を瀘別し、これを九五%エタノールで三回洗浄した後一夜風乾させることであると認められるが、これもまた通常の慣用手段であると考えられる。

4  まとめ

以上によれば、イ号方法が本件発明の構成要件(二)を具備しないことを立証するに足りる証拠はなく、むしろイ号方法においては、ピペミド酸無水物を「含水媒体」たる加熱溶融したピペラジン6水和物(ピペラジンと水とを混合したものと同一状態のもの)に添加溶解せしめた後、更に結晶化溶媒たる無水エタノールを加えて、ピペミド酸3水和物の結晶を取り出し、九五%エタノールで三回洗浄した後一夜風乾させるものであり、エタノールでの洗浄工程前のピペミド酸3水和物が結晶水の他に付着水を有しており、その付着水がエタノールでの洗浄以降の工程において乾燥除去されるものと認められる。

第四結論

以上のとおりであるから、本件発明については特許一〇四条の適用があり、被告ら実施のイ号方法が本件発明の技術的範囲に属しないこと(被告らの抗弁事実)を立証するに足りる証拠はないから、被告らが製剤に用いているピペミド酸3水和物は本件発明の方法により生産したものと推定される。

よって、原告の主位的請求はすべて理由があるから、主文のとおり判決する。

(裁判官 庵前重和 長井浩一 辻川靖夫)

別紙「タンパク質の水和モデル」<省略>

別添特許公報<省略>

(別紙)目録(一)

左記式で示される2―(1―ピペラジニル)―8―エチル―5・8―ジヒドロ―5―オキソピリド〔2・3―d〕ピリミジン―6―カルボン酸、又は、8―エチル―5・8―ジヒドロ―5―オキソ―2―(1―ピペラジニル)ピリド〔2・3―d〕ピリミジン―6―カルボン酸ともいう(一般名・ピペミド酸)の3水和物。

(別紙)目録(二)

2―(1―ピペラジニル)―8―エチル―5・8―ジヒドロ―5―オキソピリド〔2・3―d〕ピリミジン―6―カルボン酸(一般名・ピペミド酸)無水物を、加熱溶融したピペラジン6水和物に添加溶解せしめた後、これに無水エタノールを加え、冷却して析出する結晶を瀘取し、付着エタノールを揮散させるピペミド酸3水和物の製法。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例